北海道石狩郡当別町錦町
札沼線 石狩当別駅
石狩当別駅 - Wikipedia2020/4/15、
JR北海道公式プレスにて
札沼線の廃止(最終運行日)を早めるとの決定が発表されました。
元々GWまでの5/6を廃止日としていましたが、最終定期運行を4/24まで繰り上げ、ラストランは4/27に沿線住民だけで行われるとう異例の措置です。
また、沿線町外からの訪問・乗車・撮影を自粛するよう呼びかけるという、これまた前例のない措置となりました。
…と思っていたら、翌日の4/16に、明日4/17に最終運行を繰り上げるという発表がありました。
新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言が全国に出された為です。
史上初、史上最悪の
廃線となってしまったように思います。誰もが新型コロナウイルスを恨んでいることでしょう…
是非とも当ブログで更新する
札沼線各
駅の記事を見て少しでも雰囲気を味わって頂ければと思います。
もっとも、5/6の廃止に向けて記事を更新していき、廃止前には全
駅、との考えでしたが、間に合うわけがないので、記事を書きながら
札沼線の最後に思いを馳せることとします。
札沼線廃止区間…の前に、DC区間の始発となる石狩当別
駅からご紹介します。
1934年、桑園~石狩当別間は「札沼南線」として開業しました。
ご存じの通り
札沼線の「沼」は、現在の留萌本線石狩沼田駅の沼ですから、翌年1935年に桑園~石狩沼田間が全線開通となりました。
1944年からはおよそ二年間、石狩当別~石狩月形間は第二次世界大戦の影響で不要不急線となり運行を休止しました。
こういった背景からも、石狩当別は再び昔の終着駅だった頃のように戻るともいえますね。(今は医療大学駅がありますが)
電化されたのは割と最近の話で、2012年に桑園~
北海道医療大学間が電化となりました。
末端区間廃止後は、いよいよ気動車も姿を消し、完全な電車のみが往来することになります。
この記事では駅の概要の他、気動車の姿をメインに撮影しています。
続きを読む から本記事です。

まずは浦臼行の発車案内を撮影。
普通の電光掲示板タイプが好みなのですが、石狩当別は残念ながらただの液晶画面です。

吹雪の中出発を待っている、浦臼行普通列車です。

ホームには雪が吹き込み、列車の前頭にはびっしりと雪が張り付いています。

浦臼⇔石狩当別の行先幕を撮影。
駅名標とキハ40で一枚。
この列車がこの
駅に停まっている光景も見られなくなってしまいます。

前頭に行先が書いてあるので、側面のサボ受けには『学園都市線』の表示が車体に直接貼り付いています。

場面は変わり、一旦先程の浦臼行普通列車に乗車し、再び石狩当別に戻ってきました。
石狩月形行の表示は夜間しか見られない為、それを収めるためにこの日は石狩当別に宿を取りました。

ホームへ降りると40の姿は無く、両側に733系電車が停まっていました。

これからはこの電車のみの光景が当たり前となります。

3番線から札幌へ向けて電車が発車して行きました。

こちらが桑園方面です。
大きな架線柱が連なっています。

浦臼・新十津川方面の闇の中からキハ40がやってきました。

折返し石狩月形行きとなる列車です。
昼間見た時より一層こんもりと雪が付いています。

石狩月形⇔石狩当別の行先幕ももちろん収めました。

丁度エアポート編成とキハ40が並んだので撮影。

ここからは
駅舎を見ていきます。
改札口を入ったコンコースです。

翌朝の写真ですが
駅舎内部です。
自動改札、みどりの窓口完備です。

時刻表です。
「石狩月形方面」は今後「
北海道医療大学方面」となります。

自由連絡通路です。
駅舎外観です。
橋上
駅となったのは1994年のことです。

駅前ロータリーも広々としています。
しかし、夜は極めて静かです。

再び場面は変わり、翌朝の石狩当別駅です。
晩年には1日1往復のみとなった、新十津川行の表示を収めました。

昨日の雪もおさまり、澄み渡った空気の中キハ40が停まっています。

こちらは雪落としをしたのか、さっぱりとした顔も見ることが出来ました。

新十津川⇔石狩当別の行先幕。これで3種コンプリートです。

朝焼けと共に。

似たような写真はどこかで撮れるかもしれませんが、このホームで萌黄色と青色のラインはもう見られなくなります。

キハ40-402。
札沼線で活躍した気動車たちはどこへ行ってしまうのでしょうか。
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